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地球の神秘。もし日本に生まれてこなかったら?

CULTURE

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私たちの多くは日本で生まれ育ち、日本で生まれたことを幸運だと感じているのではないだろうか。

ではもし私たちが日本に生まれて来なかったら、私たちはどんな人生を送っていたのだろう。

この地球に同じ時期に生まれてきた4人の命

「ベイビーズ-いのちのちから」という映画をご存知だろうか。

フランスのトマス・バルメス監督が、2009年にこの地球で生まれた4人の赤ちゃんにズームインして撮ったドキュメンタリー映画だ。この映画には冒頭の質問のヒントが溢れている。
モンゴル、日本、アメリカ、ナミビア。舞台はこの4カ国。赤ん坊がまだお母さんのお腹の中にいる時から撮影が始まり、生まれてから1歳になり立てるようになるまでを撮っている。

このドキュメンタリー映画の風変わりなところはナレーションが一切なく、家族の会話にも字幕などはない。それが監督のユニークな手法で、この全く違う環境で育つ4人の赤ん坊は、映像のみで上手く対比されており、私たちに考える余地を与えてくれる。そして言語に関係なく誰でも見ることができるユニバーサル映画なのである。

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アメリカ・サンフランシスコ近郊、オークランドで生まれたハティちゃん。病院で生まれたばかりの彼女の体には、最新の医療であろう、たくさんの管が着けられている。赤ん坊が少し大きくなると、両親は意欲的に子供と親が参加できるプレイグランドなどに足を運び、とても教育熱心である。父親が子育てに積極的に参加している姿も欧米文化だ。

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南部アフリカのナミビアの少数民族ヒンバ族に生まれたポニジャオちゃん。自給自足の民族に生まれた彼女は、生まれた時から洋服やオムツは身につけず、牛の脂肪と赤土を練って作るものを全身に塗り、動物の皮を纏う。これがヒンバ族の民族衣装だ。

髪が伸びれば母親が研いだナイフで剃られ、剃った後はまた赤土を塗られる。彼女の横にはいつも母親がいる。10人もの子供達の中で育ち、年上の子供に面倒を見てもらいながらスクスクと育つ彼女。「こんな不衛生で大丈夫なのか」という疑問はいつの間にか消え、逞しく育つその姿に感動をも覚える。

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モンゴルでもオムツは着けない。赤ん坊の体は布でぐるぐる巻きにし、紐で硬く縛る。遊牧民の家族に生まれたバヤルジャルガル君は鶏、ヤギ、牛、猫、馬などの動物に囲まれて、その動物と触れ合いながら大きくなる。彼は赤ん坊でありながら既に遊牧民なのだ。

モンゴルの素晴らしさはその自然であり、地平線の見えるほどの草原の中に、ポツンと建てられたゲルと呼ばれる白いテントで生活しているのだ。あたり一面はだだっ広い草原。電気はソーラーパネルが一枚あるだけ。父親がバヤルジャルガル君のすぐそばでヤギを屠っているシーンはやはり遊牧民だということを物語る。母親が内蔵をきれいに洗っている横で彼はにこにこ笑って遊んでいる。

 

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そして東京で生まれたマリちゃんは渋谷にある高層マンションで両親と猫一匹と暮らす。大きな窓から見える高層ビルの景色がコンクリートジャングルという言葉を思わせる。世界一の大都市東京は日本文化というよりもシティライフというところが強調されているようだ。核家族で子供は一人。

マリちゃんの母親は、マリちゃんがまだハイハイをしているうちに仕事復帰し、彼女は託児所に預けられる。動物園で動物を見るシーンはモンゴルの遊牧民やアフリカのヒンバ族には信じられないだろう。

同じ時代に同じ地球に生まれてきた4人であるが、4人の目の前の景色は全く違うものである。

こうして4人の赤ん坊は、違う場所でスクスクと成長していく。その暮らしぶりは全く違うのだが、どこの国でも母親が献身的に世話をし、愛を注ぐことに全く変わりはない。

赤ん坊が生まれきた時に固定概念などは一切ない。一番頼れる母親と父親に見守られてその環境に順応していくだけだ。

多種多様な民族の子育て

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数百年前、この地球全域には多種多様な民族が、その土地に合ったユニークで賢い文化を活かし、暮らしていた。その文化は何千年もの時をかけて、その土地と循環して快適に暮らしていけるように築き上げられたのだ。

現代社会では、このような少数民族の文化というのは軽視されている風潮がある。そして残念ながら年々この地球からユニークな文化を持った多種多様の民族の暮らしが消えているのも事実だ。けれどこの映画ではその少数民族の習慣が面白く、そして美しく映っているのだ。

その中でもナミビアとモンゴルの子育ては実にユニークであった。日本人からすると赤ん坊がオムツをしないというだけで結構ショッキングであるが、ナミビアのヒンバ族は裸族であるため洋服さえも着ていないのだ。

お風呂の入り方もナミビアでは、なんと母親が子供を舐めきれいにする!モンゴルでは母親が水を口に含み、それを赤ん坊にかけて洗う。露天風呂に気持ちよさそうに入る日本のマリちゃん。アメリカでは父親が立ったまま赤ん坊とシャワーを浴びていた。

私たちはお風呂の入り方だけで、こんなにも違うのだ。そのどの姿にも母親または父親の愛に溢れていて、子供は気持ちよさそうで、観ているこちらまで嬉しくなってしまう。これはまさに面白い地球の神秘である。

100年前の日本の子育て

ナミビアとモンゴルは必要最小限の物の中での暮らしである。ナミビアに至ってはオモチャもなく、他のたくさんの子供に連れられて、大自然の中で自由に遊んでいる。 モンゴルのオモチャもとても限られたものであり、兄弟や動物と一緒に遊んでいる。

それと対照的にアメリカと日本の子供は、オモチャ、本、子供用の車、プールなどたくさんの物に囲まれて育つ。日常的に自然と触れ合うことも少ない。身の回りのものも買ったものに囲まれている。

ここで一つの疑問が湧く。日本の子育てというのは、本来どのようなものであったのだろう。

日本の赤ん坊を取り巻く環境も100年前は、この映画のような近代的な子育てとは全く違うものであった。着るものは和装であったし、たくさんの兄弟の中で育てられていた。民間治療などの知識も豊富であった。核家族も少なかった。東京も現在のような巨大都会ではなかったであろう。日本人がまだ日本人らしく生活をしていた頃である。

Photo from 海外の反応 パンドラの憂鬱

それがこの1世紀の間に、ものすごい勢いで変化した。私たちはその怒涛の文化の変化の中で生まれ育った。

日本の伝統的な子育ての知恵は一体どこへ行ってしまったのだろう。ナミビアとモンゴルの民族色豊かな子育てを見ていると、ふとそんなことを考えさせられるのだ。

人はどこで生まれても幸せになれる

Photo by chuvali

さて冒頭の疑問に戻るが、もし日本に生まれてこなかったらどんな人生だったのだろう。

きっとどんな国に生まれてきても、父親と母親の愛をしっかり受けて育つ環境があれば、赤ん坊はそれだけで幸せなのだ。そしていつの日か、この国に生まれて本当によかったと思えるのだろう。

あの4人の赤ん坊の幸せそうな笑顔を見ていたら、そう思えてならない。

参考サイト
http://www.focusfeatures.com/babies/synopsis

Writer: バンベニ 桃

 
 

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